電話もメールもなかった時代、通信手段と言えばもっぱら手紙(文)が用いられました。芳町の陰間たちも、お得意様のお客への営業は手紙によるものだったようです。現代ならLINEで「近々来てくださいね」とか「最近、お見限りじゃない?」などと軽くメッセージを送ることが出来ますが、電子文字だと若干味気無さもあるのではないでしょうか。その点手紙だと、生身の文字で風情がありますね。今回はその手紙事情についての句です。
「文」は長く書かれた手紙、「手紙」はメモ程度の走書きといったところでしょうか。吉原の女郎ならば、お客を店に呼ぶために綿々と口説き文句を書き連ねるのでしょうが、芳町からの手紙はそこまで長くなかったのでしょう。かと言って「店に来て」とだけの用件だけでは、受け取った客も白けてしまうため、程よい長さのものが「文と手紙の間」となったのでしょう。
もしかすると、陰間とそのお客だけにわかる暗合なども用いていたかもしれませんね。長くもなく短すぎもしない手紙に、陰間のテクニックを見ます。
江戸時代には色街からお客に手紙を届ける「文使い」という存在がありました。特殊な場所から、色めいた手紙を届けるのですから、それなりの技術と才覚を必要とされたようです。
吉原からの手紙は、届け先がお寺でも女房持ちのお客でも、見つかったらそれこそ一大事。ですが、芳町からの手紙であれば、なんら後ろめたいことなく受け取れるので、文使いも「物申!(用事があってきた時の呼び声)」と言えた模様です。男性から男性に送られる普通の手紙の振りをすればいいですからね。
では、そんな手紙の中身はどうだったのでしょう?
「なつかしい、ゆかしい」は、足が遠のいているお客を遠回しになじる言葉です。「なんで会いに来てくれないの?」と書くより奥ゆかしいですね。だけど、最後に記すのは「お金」のこと。やはりそこは商売ですね。受け取った相手が、「結局は金目当てかい」と怒ったか、「そんなに困っているなら会いに行ってやるか」と同情したかは、想像するのみです。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。