古川柳の男色の主役はなんといっても和尚。こんなに好色な和尚ばかりだったとは信じたくないですが、古川柳作者にとっては日常的な「ネタ」として取り上げやすかったのでしょう。
芳町などの色街で遊ぶ和尚もいれば、手持ちの少年たちをとっかえひっかえする和尚もいるわけですね。今回は、その「手持ちの少年」=寺小姓たちの句を読んでいきます。
一読難しい句ですね。「蓮華往生」がどんなものか知らないと意味がわかりません。これは1790年代後半に起こった事件で、某宗派の悪僧が信者の信仰心に付け込んで行ったものです。信者から料金をとって、作り物の大蓮台に備えた蓮の花の中に入れ、周囲で読経をしているうちに、台座の下から槍で突き刺して殺し、生きたまま往生させるという所業です。はっきり言えば、宗教を利用した殺人です。
この「蓮華往生」が“僧侶の槍によって刺される”という点に焦点を当てて、作られたのが、冒頭の句です。和尚の夜の営みの相手にされる寺小姓は、毎晩和尚の槍(男根)に貫かれているじゃないか、と。残酷な事件もこのように料理してしまうのが古川柳なんですよね。
気分を変えて、言葉遊びの句も紹介しましょう。前もって心構えが出来ていることを「覚悟の前(覚悟の上)」という言い方をしますが、寺小姓が覚悟するのは、肛門 に和尚の男根を受け入れる時の痛さ。なので「覚悟の後」ともじっているのです。蓮華往生の句と比べると、少々なごみますね。もちろん、痛い目に遭うのは可哀そうですが。
好色和尚といえども、朝から晩まで寺小姓と交接 をしているわけではありません。和尚は寺小姓が幼少の頃から仏道の修行や学問を教えます。そして寺小姓も一人前の僧となっていくのです。その来し方を思うと、師へのありがたさと同時に、身についた痔についても思いを馳せずにいられないものなのかもしれません。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。