男子のアイデンティティ・男根
については、これまでもお話してきました(其の四「男性器考」、其の二十五「へのこ事情」参照)。自分の男根のことだけ気にしていればいいものの、他人の男根も気になるのが、男子の思考のようです。交接
の時には、男根の質だけではなく、前戯やその他のテクニックの総合で良し悪しが決まるものだと思うのですが。
今回は、他人の男根をとやかく言っている句をご紹介しましょう。
お公家さんと言えば、なよやかで雅な印象のある存在です。男子と言えども、和歌を詠み、楽器などをたしなむ優雅な生活をしていれば、自然とたおやかな体つきであったことでしょう。女性的な風貌をしているお公家さんたちを「あれでも男かよ。男根があるようには見えねえや」と嘲っているのが、この句です。余計なお世話ですよね。
「越前」とは福井藩のことを言い、福井藩の人々は男根を披露し合う「へのこくらべ」を嫌がる、という句です。何故、福井藩の人はへのこくらべを嫌がると詠まれたのでしょうか?
それは、「越前」というのは「包茎」の異称であるからなんですね。福井藩の槍の袋が包茎に似ていることから由来しています。だからと言って、福井藩の人が全員包茎だったとは限りませんが、そういうことを決めつけてしまうのが川柳なんです。
「包茎は恥ずかしいもの、ズル剥けの男根こそがかっこいい」という考えは、現代の某整形外科医が包茎手術を流行らせるために流したプロパガンダとされていますが、お江戸の時代からあった概念だった模様です。
湯屋(銭湯)には「三
助
」と呼ばれる垢すり等のサービスを行う男子がいました。湯屋は他にもあるのに、あそこの湯屋はなんであんなに流行っているのだろう?と探ってみると、口淫
のサービスも行っていたようです。何本もの男根を頬張っていると「こいつは胡瓜並みだな」「こいつは大根かよ」と様々な感想を持ったことでしょう。頬張られて、すっきりしたお客の方は、他人と比べられてるなんて思いもつかなかったでしょうが……。
もっともこの句、湯女
と呼ばれる女性の垢すりサービス係のことを詠んだ句とも思われますが、そこはそれ。1657年には湯女禁止令が出たので、ここは三助が頑張った句として読みたいですね。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。