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古川柳男色事情走書    南 ツカサ

其の六:若衆年齢の事

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  皆さんはどんな年齢カップルがお気に入りですか? 「なんといっても青年×青年」「青年×少年が素敵」「いやいや青年×中年も味があってイイ!」等いろんなお好みがあることでしょう。
  江戸時代では、基本受けは「少年」でした。古川柳において受けは「若衆(わかしゅ)」「陰間」と表現されていることが多いです。「陰間」は玄人(プロ)の男娼のことですが、「若衆」は一般人も含む受け全般を指します。では、何歳くらいまでの若衆が好まれていたのでしょうか?

十六の若衆牡丹の十日すぎ

  「十日すぎ」とは「見頃が過ぎた」という意味です。つまり、十六歳で花盛りは終わる時期とされていたんですね。ある文献には「十一歳から十四歳までは蕾の花、十五歳から十八歳は盛りの花」「十六歳は若衆の春」と記されています。
  青い果実が好みの男性もいたと推測はできますが、やはり年少過ぎると、技巧(テクニック)もぎこちなく、肛門(アナル)も練れていないと感じられたのではないでしょうか。その点、経験を重ね、身体も熟れてきた十六歳前後が一番の食べ頃とされていたようです。

十九(つづ)二十歳(はたち)陰間にすれば老いの坂

  そのまんまの句ですね。普通の青年であれば、十九、二十歳は男として成熟し始める年齢ですが、売り物の陰間としては年寄り扱いされます。
  また、陰間だけではなく、一般の自由恋愛の恋人たちも、二十歳前後を区切りとして、身体の関係を持つのを止めていたようです。

芳町(よしちょう)は化けそうなのを後家(ごけ)に出し

  男娼の街・芳町にやってくるのは男性だけではなく、女性客もいました。年増になって男性の指名が来なくなった陰間は、そうした女性客を相手にすることになっていたんですね。それにしても歳をとったからといって化け物扱いとは残酷な表現ですが…これが古川柳なんです。
  ところで、少年受けが好まれた一方「高野六十、那智八十」という言い回しがあります。これは男色の本場と呼ばれていた高野山(こうやさん)那智山(なちさん)(※1)では六十歳、八十歳まで受けを勤めていたということです。悟りを開く修行をする場でも、一度覚えた交接(セックス)の味は止められないということですかね。還暦を過ぎても受けをしているというのは少々想像しづらいですが、悦楽を感じるからこそ続けられたのかもしれないです。快楽に年齢は関係ありません。

※1 高野山は男色の開祖と呼ばれている弘法大師が開いた修行の場。かつては女人禁制だった。那智山は観音の浄土として修験者たちが集った聖地。弘法大師が高野山を開く前に修行をしていた場所と言われている。

コラム「古川柳男色事情走書」著者プロフィール
南 ツカサ(みなみ・つかさ)  Twitter

古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。

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