人は出会うから恋に落ちる。恋に落ちるためにはまず出会いがなければなりません。江戸時代に男子同士が出会う場所といえば、色街の陰間茶屋でした。
陰間茶屋で色を売っていたのは、元は役者の卵たちです。男色は芸道のための修行のひとつだったんですね。
男娼のことを一口に「陰間」と呼んでいますが、細かく分けると、舞台に出る前の若い子は「新部子」、舞台に出るようになった子は「舞台子」、舞台に出るような年齢になったものの使い道のない子は「陰子」もしくは「色子」といいます。
そうした役者たちが出る芝居(若衆歌舞伎)が人気が出るに従い、陰間茶屋も繁昌していきます。江戸の中期、最大の色街・芳町では一時は百人以上の陰間が在籍していたと言われています。しかし、好事魔多し。人々が狂騒するにつれて、黙っていないのがお上というもの。たびたび幕府から禁止令が出されて、陰間茶屋も営業が取り締まられました。
出会いの場である陰間茶屋がなくなったからといって、諦めるような柔な心根では恋愛など出来ません。「出会屋」とは「出合茶屋」のことで、現在のラブホテルのようなものです。お上に禁止されようと、恋する人に逢いたいと思う気持ちが、別の場所での密会を促したのですね。
この句はまだ肉体関係に至る前の光景です。初めて会った者同士が、目と目で互いに「させたいなぁ」「したいなぁ」と無言の合図を送り合っています。好意の探り合いをしている様は、なんかときめきますよね。ちなみに、古川柳で「出来る」というのは、交接を行うことを指します。
こちらは茶屋ではなく家で接吻まで持ち込んだ句です。そこから先に進みたいのに、なかなか二人きりになれず焦れています。無事に抱き合うことは出来たでしょうか。この先が気になる句ですね。
さて、この句の主語は「攻め」か「受け」かわかりますか? 答えは「攻め」。というのも「口を吸う」という行為は、攻めのものだからです。男色における接吻では、受けは舌を突き出して「吸わせる」んですね。もっとも夢中になったらお互い吸って吸われて…という事態になっていたかもしれませんけど。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。