ものごとには始まりというものがあります。男色における交接も、また然り。今回は、江戸時代の初尻喪失について見ていきましょう。
「芳町」とは日本橋人形町で、陰間茶屋(男娼を売る店)が最も繁盛していた街です。「水揚げ」とは、男娼(陰間)が初めて客をとること。そして「えらひどさ」とは「ひどく大変」という意味です。
陰間は、10~12歳くらいからプロとして肛門を教育されます。当時の指南書には「小指を挿れ、ついで薬指、人差し指、中指、親指と進めて慣れさせ、人差し指と中指の二本を抜き差しして試しなさい」とあります。細いものから順に、というのは親切ですね。といっても、陰間は売り物ですから、練習の段階で傷つけてはお金にならないという事情があるのですが。
指で慣らした後に男根に移りますが、これも最初は先端だけ挿れ、徐々に深く挿れるようにという記録があります。
ここまで入念に仕込んだ後にお客に出すわけですが、お客はそんなに丁寧に手順を踏んでくれません。もちろん陰間の方も不慣れですから、その交接たるや、互いに四苦八苦したのではないでしょうか。
「児が淵」とは江の島にある岸壁「稚児ヶ淵」のことです。この淵はあまりに深いので、初めて見ると目が眩んで立ちすくんでしまう、という意味にも読めますが、そうはいかないのが古川柳。
「稚児」とは、お寺で働く少年のことですが、お坊さんの男色相手も勤めていました。つまりこの句は、稚児の初尻喪失の時は目が眩むほど痛い、と詠んでいるのです。攻めのお坊さんは、快感に目を眩ませたかもしれませんけどね。
「ふすま」とは、小麦を挽いた後の糠のことです。これを売り歩く少年が、長屋に引っ張りこまれ、やられてしまったのですね。
「破穴」とは、少しも肛門を湿らせず男根を一気に挿入すること。やられる方はたまったもんじゃありません。文献にも「大いに痛むなり」と書かれています。そりゃ、傷つきもするでしょうね……。
何にせよ、初尻喪失は痛みを伴うものだったようです。でも、案外最初から悦楽に浸る受けもいたかもしれません。そこは謎。男体は神秘です。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。