陰間茶屋の一番のお得意さんは、これまでにも紹介してきたように僧侶すなわちお坊さんでした。自由に遣えるお金を持っていることから、お坊さんの中でも偉い立場にいる人が多かったようですね。今回は、そんなお坊さんを相手にした時の冥加についての句を見ていきましょう。冥加とは、神仏のおかげ、という意味です。
「奉加」とは、神仏に金品を奉納することを言います。誰がいくら払ったかを記録したものを「奉加帳」と言いました。今でも、寄付をする時など「奉加帳を回す」という言い方で使われていますね。
さて、男色交接
をした男性の名で奉加帳に「五十」が付いたという句ですが、まさか「五十銭」のはずがありません。おそらく「五十両」のことと考えられます。現代に換算すると約500万円程度でしょうか。神仏も寄進してもらうには高額の方がご利益を与える気にもなりますよね。よほど、良い尻をしていた男性と思われます。
僧正はお坊さんの中でも特に位の高い存在です。どの世界でもトップクラスの地位に立つと、下からお金が集まってくるというもの。資金がたっぷりあるなら、陰間を買うにもトップクラスの子を買いたいと思うものなのでしょう。「極」とは、最高級という意味です。僧正の立場もありますから、安っぽい陰間を買うということもプライドが許されなかったものと思われます。 陰間の方としても、僧正は良客中の良客です。その指名を受けることは、名誉だったに違いありません。しかも、たっぷりとお金は弾んでくれたでしょうしね。
どんな商売でも、努力と工夫を重ねて繁昌させようとするものですが、最後は神仏頼みになることが多々あります。努力と工夫だけでは足りないのですね。陰間茶屋も例外ではありません。経営が苦しくなると、神仏に祈ることも多かったことでしょう。
ただ、他の商売と異なる点は「仏様」に連なるお坊さんが、直に商売に影響するというところです。お坊さんが陰間に入れ上げて、せっせと通ってくれることで、商売繁盛・お家安泰。信心とは別の意味で、お坊さんに合掌せずにいられなかったでしょうね。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。