本誌連載「雪と松」(高橋秀武)はもうお読みになりましたか? 時代物BLっていいですよね。雪の艶っぽさ、松庵先生の無骨な可愛さ、たまりません!
で、江戸時代の男色ってどんなものだったのかを古川柳で探っていこうじゃないか、というのが本コラムの主眼です。「古川柳」とは、江戸時代に作られた川柳のこと。「これ小判たった一晩いてくれろ」とか「役人の子はにぎにぎをよく覚え」といった句を、古典の教科書で習いませんでしたか?
「古典って苦手だったし……川柳ってのもなんか難しそう」と思ったアナタ! 大丈夫です。川柳というのは、庶民の文芸。お上品な俳句や和歌とは趣きが異なり、なんでもアリの自由な表現方法なんです。だから、BL古川柳も残されている!
論より証拠、どんな句があったのか見ていきましょう。
いきなり「けつ」です。お下品、失敬。でもそういう句なので仕方ないですね。意味は「けつはさせなさいと弘法大師は言った」というもの。僧侶の世界では、女色は禁じられているけど、男色はOKってなわけです。
弘法大師は「空海」の名前の方が知られてますかね。平安時代、唐(中国)に渡って密教を学び、日本に導入した偉いお坊さんです。江戸時代では、この弘法大師が密教とともに男色も持ちかえった、というのが俗説になっています。
といっても、男色自体は神代の昔からあったと、江戸時代のBL小説『男色大鑑』(井原西鶴)には書かれているんですけどね。
男色を嗜んだのは武士・一般庶民も同じですが、やはり一番多いのは僧侶だったようです。遊女のことを「傾城」(城を滅ぼすほどの美女)と呼びますが、僧侶は美しい陰間(男娼)に惚れてお寺の財産を注ぎ込んでいた模様です。
美少年は男にも女にも惚れられて交わりを知る、ということですね。当時、色の道は男女両方に通じていることが「粋」とされていました。江戸時代では少年は基本的に受けだったので、この「美少年」の男性体験は受けだったと推測されます。
さてさて、BL古川柳、いかがだったでしょうか? 次回はもう少し具体的な男色事情を探っていきます。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。