芝居とは歌舞伎のことを指します。「歌舞伎」が出雲の阿国が始めた「かぶき踊り」から始まったことは歴史の授業で習ったのではないでしょうか。かぶき踊りはやがて「女歌舞伎」となり、評判をとりますが、風俗を乱すということでお上から禁止されてしまいます。
そこで台頭するのが、若衆歌舞伎です。これは前髪を落としていない成人前の男子が演ずるもので、すぐに人々を魅了しました。女子が演ずる芝居を禁じたら、よりいっそう倒錯した美が世間を惑わせることになるのですから、皮肉なものですね。
男色を売る男子を「陰間」と呼びますが、これは本来この歌舞伎の修行中の呼び名でした。舞台に出る子を「舞台子」、舞台に出る前の子は幕の陰にいるから「陰間」(「色子」とも言います)と呼ばれたのですね。色を売るのは、役者修行の一環としていたのが始まりで、そののちに色だけを売るプロの陰間たちが出現してきます。
今回は役者修行中の男子たちの句を見ていきましょう。
この和尚、純粋に芝居を楽しみに来たわけではなさそうです。自分好みの舞台子がいないか検分していたのでしょう。「舞台子」にも至らぬ新人のことを「新部子」と言いますが、そこまで青田買いするタイプの和尚ではないようです。
「牛若」とは「牛若丸」、源義経の幼名です。彼の悲劇的な人生は好んで芝居の題材とされています。京都・五条大橋での武蔵坊弁慶との対決なども有名ですね。ひらりひらりと大男の弁慶を相手に立ち向かう様を見て「あの子、今宵呼べるか」と勧進元に尋ねにやりました。買う気、抱く気、満々です。
この「御曹司」も義経のことです。先の牛若丸を演じた役者よりも歳は上だったかもしれません。芝居の扮装のまま、陰間茶屋に呼ばれました。「おお、これが先ほどの…」と、買った客のにやけ顔が見えてきそうですね。障子に写る御曹司のいで立ちはやがて脱がされ、組んずほぐれつの絡まりになったことでしょう。「影」だけの交わりというのは、いっそう淫靡な光景ですね。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。