江戸時代、商売ではない男同士の恋人関係を「念契」と呼びました。“念じて契る”のですから、「遊び」「浮気」ではない本気の関係です。そこでは、攻めは「念者(兄分)」、受けは「念弟(弟分・若衆)」と呼ばれます。
今回はその念者・念弟の関係を見ていきましょう。
「手」とは「手習い」、すなわち書道のことです。寺子屋で習うのは「読み・書き・そろばん」が基本でしたが、書道を教える時は後ろから抱くようにして書き方を教えることもありました。そんな身体の密接から芽生える恋心もあったのでしょう。文字を教えるついでに、色の道も教えたものと思われます。教師と生徒の「禁断の恋」は昔からあったのですね。
少年時代の男色関係は、一種の通過儀礼的な意味合いもありました。念弟の少年は、「男」ではなく、また「女」でもないという魅力があっての念契です。
少年が成長し、若衆を卒業すると、自身の結婚が待っています。
この句は、仲人が持ってきた縁談をよくよく吟味してみるとどうやら念者だった人の妹だった、という句です。
自分を抱いた男の妹を抱くことになる…というのは、なんとも複雑。おそらく、何か理由をつけてお断りしたことでしょう。
念者の方が年上なので、一足先に結婚することになります。しかし、結婚したからといって、念者・念弟の関係がすっぱり切れるものではありません。特に念弟の方は、まだ純情な年頃です。想う相手に逢いたくなるのは当然のこと。
話がある、相談がある…と言っては、しょっちゅう念者のところにやってきます。
二人がただの友人関係なら、妻も目くじら立てることはないのでしょうが、元の関係を知っているがゆえに、面白く思わないのも無理はありませんね。けれど、「切れろ」と迫るのではなく、苦笑いするのが精いっぱいというところが、“妻”の意地でしょうか。
手練手管に長けた陰間相手もいいですが、素人同士の恋愛も良いものですね。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。