以前にもご紹介しましたが、江戸時代には「弘法大師から男色が始まった」という俗説が信じられていました。実際にそうだったかは疑問ですが、少なくとも古川柳の世界ではそれが「お約束」になっています。川柳は権威ある人を茶化すのが大好きですからね。
弘法大師が作ったと言われている短歌(信憑性はゼロです)「恋といふ其の源を尋ねればばりくそ穴の二つなるべし」なんかも弘法大師が好色だったという伝説に一役かっているようです。「ばりくそ」は、現代の若者言葉としても使われていますが「ばりばりムチャクチャ」という形容詞ですね。お上品な表現とは思われていませんが、弘法大師(が作ったと言われる)短歌の「ばりくそ」は、「ばり=小便」「くそ=糞」の意味。ずばり「女性器」と「肛門」を指しているのです。これに比べれば、現代の使い方の方がよっぽどお上品です。
今回は弘法大師に関する古川柳にターゲットを当てます。
弘法大師が唐(中国)に渡ったのは西暦804年。2年間の修行時代を過ごすわけなんですが、当然その間は女人厳禁。仏教を学びに来たのですから、禁欲生活もよしとしておけばいいのに、「ただ居るだけで済ますか」と、「裏」(男色)に走ったという句です。異国の地での恋愛遊戯を求めたのでしょうか。海外に行くと大胆になる…というタイプは結構いるようですしね。
この句から、弘法大師は攻めだったことが伺えます。当時の受けは「自分が苦痛を耐えることで相手に快楽を与えることが善」という修行(?)の一種と捉えていたようですが、それでも痛いものは痛かったことと推測されます。受けの痛みを知っていたらあんなにも毎晩交接(セックス)はしないだろう、という皮肉の一句です。
潤滑剤も技術もまだ未発達だった時代、受けも前立腺を刺激されればドライオーガズムを感じられるなんてことは知られてなかったでしょう。でも、前立腺の役割って、現在でも解明されていないらしいです。男体って神秘ですね。
痛い目に遭わされても、こんな純粋な気持ちを持った小僧さんもいたんですね。少なくとも女犯の戒は守っている…と。でも、自分が出世していったら、今度は自身が弘法大師の真似をしそうな危うさも感じる句です。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。