人間、有事の際にはその人の本性が出ると言います。陰間茶屋で遊ぶお坊さんも、普段は落ち着き払った態度をとって威厳を保っているかもしれませんが、思わぬことが起こった時には、そうでもないようで……。
「輪袈裟」とは、お坊さんの法衣である「袈裟」の一種で、袈裟よりも簡略化されて、移動の時などに首に下げればよいだけのものになっています。しかし、訪れているのは、陰間茶屋。陰間といちゃつくためには、その輪袈裟が邪魔になります。かといって、粗雑に扱うわけにはいかないので、床の間の違い棚に置いた、というのがこの句の意です。
自分の大切な商売道具ですから、まあ、これは自然な行為ですね。
陰間との逢瀬を堪能して、いざお坊さんが帰って行った後、陰間屋では、違い棚に置きっぱなしになっている輪袈裟に気づきました。袈裟はお坊さんの位を示す重要なもの。なのに、陰間との交接ですっかり満足してしまったのでしょう。袈裟のことなどすっかり忘れてしまったものと思われます。結局のところ、陰間茶屋に来る目的は一つ。お坊さんも色欲が勝るということです。
追いかけて行った陰間屋は無事お客のお坊さんに追いつけたんでしょうかね?
これはもう袈裟どころの騒ぎではありません。火事になったか、地震が起きたか。何か異常事態が発生した時に、お坊さんが真っ先に連れて出たのが「陰間」だというのです。もう目の前の美男子しか目に入っていない状態です。
また、この句はもっと大きく意味を考えると、「お寺も檀家も捨て、陰間と駆け落ちした」という意味にもとれます。陰間が過酷な勤めから逃れたくて、得意客のお坊さんを唆したのでしょうか。それとも、俗世とは(一応)縁が切れているはずのお坊さんが、更にすべてを投げうって陰間とだけの生活を夢見たのでしょうか。
どちらにしても、お坊さんの面目はまるつぶれ。たわけ(馬鹿者)と言われても仕方ないところですね。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。