お江戸の時代に男色の相手として御用聞きの少年が狙われることは以前にもご紹介いたしました(其の九:御用聞き少年の事)。陰間を買う甲斐性も粋さもない男たちは、身近な御用聞き少年を安易な手立てで誘惑していたようです。
「百穴」とは、百文銭のことです。小判型の通貨で、真ん中に四角い穴が空いているため、これを肛門
に見立ててもいる句ですね。「浅黄裏」とは、野暮な田舎侍のことで、古川柳では馬鹿にされる存在として扱われます。
陰間茶屋に行くお金もない無粋な侍は、たった百文(約2500円)で、性欲を満たそうとしているようです。
しかし悲しいかな、御用聞きの少年はその百文を握って、尻を差し出しました。奉公の身であれば、衣食住がついているとはいえ、充分な給金をもらっていたとは言えません。ほんの一時痛みを我慢すれば、お小遣いがもらえるのだと歯を食いしばって堪えたことでしょう。お蕎麦が十六文の時代です。食べたいもの、欲しいものはたくさんあったはずです。好色なおやじに男根 を突き立てられ、顔を歪ませる御用聞きの切なさがしみじみと伝わる句です。
とはいえ、百文でも(御用聞きの少年にとっては大金の)お金でさせるのはマシだったかもしれません。この句では「さつまいも」だけで、ころぶ、すなわち身を任せてしまいました。奉公先で、あまり食べさせてもらっていなかったのかもしれません。けれど、それに付け込んで、さつまいもごときで釣る好色なおやじってどうよ、と思わざるを得ません。
もっともこの句、「さつまいも」は、薩摩藩のことを指し、薩摩藩は男色が盛んでしたので、そのことを揶揄した句とも読めます。
いずれにしても、安く身を売らざるを得なかった御用聞きの少年たち。プロである陰間とはまた違った悲哀が漂います。どうぞトラウマなど背負わずに成長していってくれたものと願いたいですね。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。