お江戸の時代には、男色は珍しいものではなかったことはお話してきました。それでも、一時の熱狂ぶりはお上の取り締まりなどにより、下火になっていったことは否めません(もっとも一部地域ではより燃え上がっていた模様ですが)。
しかし、人の性志向は根本的に取り締まることは出来ません。根っからの男色好きなお坊さんなどを除いた、通常男子
たちも男子相手に身体が疼くこともありました。
「俗」というのは、出家していない男子のことを指します。「坊さんでもない男が芳町に行くなんて世も末だぜ」などと言われてしまうのですね。やはり、男は女を抱くもの、という固定観念が闊歩していたのでしょうか。しかし、何を言われても「俺は男を抱きたいんだ!」と自信を持って芳町へ足を向けて欲しいものです。
これは受けがうけた仕打ちでしょう。男に抱かれたいと思って、攻めの男を見つけて抱かれたのはいいものの、「最近の男はとんでもなく好き者だなぁ」と男根を突き立てられながら、尻をピシャピシャ叩かれてしまいました。そんなことを言いつつも、その尻を存分に楽しんでるくせに、よく言うものです。
芳町の男娼は基本的に受けでしたが、「買われに来る」というところを見ると、自分が抱かれたいという欲求で、芳町に足を向けたものと思われます。攻めのお客として芳町を訪れるのは恥ずかしくなかったのかもしれませんが、抱かれに行くというのは躊躇いがあったのでしょう。「ひそかなり」とは、秘密にしておく、ということです。
抱きたいという欲求は、ぶっちゃけ相手が女性でも叶うものですが(肛門
は両性ともについているものですからね)、男根を挿れてもらうのは男子相手でなくては出来ません。人の性志向は様々なもの。たとえ、秘密にしておかなければならない欲求であっても、充分に満たされて帰路についたことを願わずにいられません。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。