陰間は色だけを売る専従の子もいましたが、基本は役者の卵たちです。特にすでに舞台に出ている子は「舞台子」と呼ばれていました。当時の役者は外では顔を出してはいけなかったので、顔半分をすっぽりと覆う編み笠を被るのがお約束でした。今で言うと、芸能人がニット帽を目深に被るようなものですかね。それが、いつしか陰間全体が茶屋入りする時には編み笠を被るという習慣になっていったようです。そんな陰間たちの古川柳をご紹介します。
陰間たちは「若衆
髷
」と呼ばれるかなり盛った髪型をしていました。いかに女性らしく見せるかをつきつめた結果でもあるんでしょうね。そのため、編み笠をしっかり被ると髪型が潰れてしまいます。ゆえに、両手で編み笠を支えて、髪が潰れないような高さを維持して茶屋に向かったのです。
話はちょっと逸れますが、未婚女性の髪型として定番の「島田髷」ですが、これ、実は「若衆髷」を取り入れたものなのです。最初に若衆髷を真似たのは遊女たちと言われていますが、そこから町の女性たちにも流行していったとのこと。どれだけ若衆歌舞伎が人気があったかが窺い知れるエピソードですね。現代でも和装の結婚式では「文金高島田」が主流ですが、それが陰間に由来した髪型というのも興味深いものがあります。
この句も同じ意味の句ですね。「空を行き」と比喩を使っているところが詩的です。編み笠で顔は見えないものの、それがよりいっそう神秘的な印象を与えていたのではないでしょうか。隠されると見たくなるのが人情というものですからね。
それに、陰間たちは振袖を着ていましたので、編み笠を持ち上げると、振袖が地面にこすれることもなく、一石二鳥だったのではないでしょうか。
「髱」とは、襟足にそって背中にせり出した部分を指します。前髪や髷などは編み笠で雨を避けられますが、覆い隠せない髱の部分は濡れてしまうのですね。でも、髪にはたっぷりと油をつけて結ってありますので、崩れることもなくその上を雨粒が滑り落ちていく様を描いた一句です。土砂降りだとちょっと困ってしまうでしょうが、しとしととした雨の中での色っぽい瞬間を捉えています。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。