以前にも「色男」についての句をご紹介しましたが(其の十二:色男の事)、今回はまた少々趣の異なる色男の句を見ていきましょう。
自分で自分の容姿に自信を持っている色男の句です。おそらく友人(供)と連れ立って歩いている時に、向こう側から美少年が歩いてきたのでしょう。その美貌をしっかりと確認しているのに、すれ違う時にはまるで興味ないといった風情で顔はツンと前を向けたままです。そのくせ、その美少年が自分に反応したかと友人に確かめるのだから、自惚れも甚だしいですね。でも「ねえねえ、俺のこと見てた!?」と訊くという行為は無邪気と言えば言えるのかもしれません。
緋縮緬は赤く染めた下着のこと。女性の襦袢や腰巻に使われることが多いですが、ここはへのこを包んでいますので、褌のことを指しています。緋色の褌を締めるというのは、やはり人に見られる場面。もろ肌脱いで褌一丁になっている祭の最中などをイメージしてもらうとよいでしょう。木綿の白い褌の男達の中で、自分を華やかに見せたいという意識は、色男ならではのものです。でも、そのへのこは、数々の情事を重ねた「きずもの」。泣かせた男も数知れず……といったところでしょうか。あまり罪作りなことをしていると、いつか痛い目に遭うぞ、と言ってやりたいですね。
色男も最初から「色男」であったわけではありません。幼い頃に性の手ほどきを受け、男に抱かれることから始まり、やがて男を抱く側に回ってきました。今では、自分に抱かれたがる男をよりどりみどりで選べます。しかし、かつて自分の尻を開花させた坊さんにだけは、頭が上がりません。会えば「おまえがまだ小さい時には、儂が可愛がってやったものだがのぅ」などと言われ、「どれ、久しぶりに堪能させてもらおうか」と尻を差し出すことを求められます。断ろうと思えば断れるのでしょうが、自分の弱みを掴まれているようで、つい着物の裾をからげてしまうのでしょう。ちょっと気弱な色男の句です。
一口に「色男」と言っても、その生態はさまざまです。でも「色男」と呼ばれるからには、色の道を堂々と進んでいて欲しいですね。花の命は短いもの。「色男」と呼ばれる季節も短いものなのですから。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。