人が歳を重ねるのを楽しみにするのは何歳くらいまででしょうか。赤ん坊が成長し、可愛い少年となり、やがて凛々しい青年になっていくのは楽しみなものです。しかし、中年あたりに差し掛かると、切ない哀愁が出てきてしまうもの。今回は、加齢ゆえの切ない句をご紹介します。
ちょっと難しい句です。これは、精をつけるために玉子を飲んだのに男根が一向に固くなってくれないため、指でアナルを刺激するしか術はなく、そのために爪を切った、という意味になります。前戯までは楽しめても、最後の挿入が出来ず、それでも受けを満足させなければ!という使命感で指でいかせる。ある意味健気な姿が見えますね。
こちらは、受け側の加齢です。若い時は、どんな男根を差し込まれても丈夫だったお尻も、歳をとるにつれて粘膜が弱ってしまったのでしょうか。痔になってしまい、周囲の人に男色交接をしていたことがバレてしまったという句です。おそらく、自分の男色趣味を隠していた人なのでしょう。図らずもカミングアウトする事態に陥ったところにも悲哀を感じます。
「中ら年」は「中年」のこと、「たぐり込む」とは「男根が委縮する」という意味です。といえば、もうお分かりですね。若いお尻を前に、気持ちは昂っているのに、男根が役に立たないことを、ズバリ詠んだものです。一度勃起しないという体験をしてしまうと、気持ちもどこか萎縮して、それが男根の勢いにも影響してしまうのかもしれません。「今度も、また駄目なんじゃないか……」と思うと、自然に萎えてしまう可能性は大です。
「里あぶら」は髪を黒く染めるために用いられた油のことです。頭髪については黒々と染め上げて若く見せていたのに、いざ裸になると陰毛は白いものだらけだった……という姿です。服を着ていれば若いと誤魔化せた年齢も、こうなるといっそう痛々しいですね。下の毛も忘れずにお手入れをしておきたいところです。
人は皆、若いままではいられません。かつては生気に漲っていた身体も、少しずつ衰えていくものです。下手に若作りするよりも、熟した大人の渋さを身につけることも楽しみ、と思えるようになるといいですよね。
古川柳愛好家。川柳雑誌「現代川柳」所属。